板倉ハートフルマラソン(フル)完歩記

(98年 3月15日)




 2日前の13日の金曜日、仏滅と満月が重なる数百年に一度の日に、うん十回目の誕生日を向かえた。その記念にこのフルを申し込んでいた。今考えるとこれが間違いの始めだった。

 前日は8時半就寝、これまでと違いぐっすりと寝付いてしまい、起床は予定通り3時。朝飯はそば+レトルト赤飯(腹持ちがいい)。ジュースと昼飯を詰めて駅へ。いつもの様に朝一の5時2分の電車で東神奈川経由上野へ。上野着6時少し前。6時5分発の宇都宮線で栗橋へ。栗橋着7時3分。まだJRから降りた人が来るが東武日光線の電車は容赦無く7時4分発車。板倉東洋大前駅着7時17分。

 駅からとことこ会場まで歩く。結構田舎とうい感じ。会場に着く前に橋があったが、車止めの柵に鍵がかかっており、人が通る幅がほとんど無く、人垣ができている。橋を渡ると初めて見るコース全容が掲げてある。よくみると、池の一周は10K程。4周しないといけない様だ。おまけに1/3は池の中の道みたい。それに、コース図ではどっちに回るかも分からない。なんか乗り気がうせていく・・・・。

 受け付けに行く。番号順に袋が地面にならべている様だが、見みつけるのにえらく時間がかかっている。ゼッケンと参加賞のT−シャツをもらって、更衣室と書かれたテントに行くが結構混んでいる様だ。中に入ると、2つ分ぐらいしか無いテントの半分はジュース、バナナ、米が積んである。物置に使うテントも無い町みたいだ。おまけにシートも引いてない。地面でみんな着替えている。

 とりあえず暑くなるという予報を信じて半袖T−シャツにゼッケンを付け、ウインドブレーカを着てかるくジョギング。昨日買ったIXY310でゴール門を撮るが、フラッシュが光るような暗さで、あとでまた撮ることにする。いま考えると、これがこの大会で撮った最初で最後の写真であった。風が出て寒い。そうこうしているうちに、雨がパラパラちらつき出す。急遽更衣室のテントに戻り長袖にゼッケンを付け直す。なんかミッドウエーの爆弾の様。でも、雨が強くなりそうで背に腹は替えられないということでウインドブレーカを着て走ることにする。荷物預かりはないので更衣室に置いていく。

 わけの分からないプラカードに従ってスタート地点に行く。スタート予定時間は9時20分だったが、集まりが悪く、22分になる。号砲一斉にと行きたかったが、メガホンを持った人が、「スタート」とか言い、スタートする。なんか拍子抜け。公認コースと聞いていたが、形だけはとって欲しい。

 スタートと伴に、雨が大降りになる。雹もまじっている。もう少し前なら棄権したのに。でも、ロスタイム3秒ぐらいと前にいたせいか、ペースはいい。最初の5Kは22分35秒。5Kを過ぎると雨も小降りになる、しかし、雨が溜まった所があり、靴もジャブジャブ状態。少し暑くなってきたので、ウインドブレーカを脱ぎ手持ちで走る、10Kの手前で道脇のベンチに置く。10Kまでのラップは22分04秒、ちょっと早いがこんなもんか、とそのまま進む。

 2周目、前に付いて走る。このコース、スタート付近しか人がいない為、給水所以外ではさびしい。前後10mぐらい1人で走っていることもある。15K迄のラップは22分30秒。このまま行けば、ハーフのベストが出そう。結構日も出てきて暑くなる。20K迄のラップは23分11秒。ハーフの記録を狙っていたことをすっかり忘れていたトイレタイムで若干ペースが落ちた。ハーフの記録は1時間35分11秒。ベストに10秒ぐらい及ばず。

 25KのK点が見つからず、28Kを過ぎたところで強風が吹き出す。でもどうにか頑張って、30Kまでの10Kのラップは50分12秒。強風の影響で25分ペースに落ちた。35Kまでは追い風であるのでどうにか勢いがついて、走れたがそれでも28分55秒。はっきりばてて来ている。ここまでで、2時間49分28秒。

 35Kから先は強風が前から吹き付ける。もうこれはどうしようもない。前に進まない。まだ堤防の下を走っている時はまだ良かったが、海の中道に出るともう風を避けようが無い。まったく歩く状態に移るが、風が強くて歩くことも難しい。後ろ向きでも歩けない。体温も下がる。38Kの給水所でバナナなどをふんだんにとるが、そこで結構止まったのが悪かったのか、給水所を出たら、足がつりそうで、ほとんど歩けなくなる。座って足をのばすが、両足ともつりそうでどうしようも無い。池の水が波打って、飛んでくる。体温も下がる。ここの2、300mを30分ぐらいかかる。両足の筋肉が、エイリアンが飛び出てくるように、ポコポコ持ち上がる。それを両手で押さえる。皮膚の温度をあげる様に必死にさする。身の危険を感じる。収容車がきたらピックアップしてもらうつもりで足をひきずって歩くが、その気配もない。一回り車で20分もかからないと思うのに、収容車も回ってないのか?

 それでもどうにかゴール地点に近づく。先に置いたウインドブレーカを拾う。風に吹き飛ばされていると思ったが、誰かがゆわえていてくれた。ゴールまで200mのところで収容車がくる。もう遅い。隣を歩く人と「今ごろ」と笑いあう。どうにか最後まで歩いてゴール。ゴールの装飾は強風の為か、もう取りはずされていた。最後の7Kのラップは1時間49分29秒。これは、これからのマラソン人生絶対に出ない記録になるだろう。(と、思いたい。)

 ゴールでトン汁とおにぎりの引き換え券をもらうが、寒風の中長い行列ができているので敬遠。更衣室に向かうが、強風対策で更衣室ももう解体済み。荷物が野ざらしになっている。風をよける所も無い。しょうがないので、青空着替え。持ってきたパン+ジュースを食べてとっとと引き上げる。最後にコース図の写真を撮ってかえろうかと思ったが、乗り遅れそうだったのでやめた。

 3時5分の浅草行き快速で、浅草へ。と思ったが、北千住でおりて日比谷線経由菊名へ。いつも通り、JRはいったばっかし。ここまで帰って来て寒風の中、ホームで待つ気はしないので、いったん上りで大口まで行き、乗り換えて戻って新横浜着。どうにか生きて帰ってきたという感じ。ゆず湯に入って再生する。うん十年分の厄がまとめて降ってきたような荒修行の一日であった。

 今回の収獲は30Kの新記録と、それ以降のスタミナの無さの再認識。
 そして敗因は、やはり衝動エントリーで大会選定の基準を踏まなかったこと。
 @一回もの(あの有名なトンネルマラソンをはじめ運営がどうでもいいと思っている。)、
  と初物(運営が不慣れ)大会には注意。
 Aこの季節、風除けがなさそうなコースの大会は敬遠。



 98年 3月16日(月)第2版記載