完走記

ロゴ


この大会申しこんだのは確か6月。10月には膝の調子もよくなってるだろうという淡い期待だった。しかし、状態は走れば走る程悪くなり、9月の終りに一回フルの距離をやったら、それ以後左足が張った感じで痛く、座っているのも若干痛みが出る状態へ。こんな中、30k走るのも無理と思われたが、恐さ見たさで参加することへ。幸、旅費はJALのマイレージで航空券はゲットできたので、電車と部屋代だけで済ますことができた。

10月20日 マラソン前日

6時半起床
7時半起床の予定だったけど、テレビをつけて、スカパーの天気予報を見ると、明日は雨の予報が出ている。ねむけまなこで、もうちょっと3時間毎の詳しい予報がでるi−modeの天気予報を契約(月100円だから)。中村駅で調べるとやはり21日は1mmぐらいの雨が続く模様。ちょっとショック。眠気が覚めてしまう。
8時50分家をでて、JR経由京浜急行羽田へ。出発待ちのカウンターにはいかにも走りに行きそうな人達が。10時45分発高知行きで出発。座ってると左足が痛い。12時到着。バスが一杯ならんでいて、どれが高知駅行きか分らなかったけどどうにか12時20分発のバスを見つけ高知駅へ。

高知駅で中村行きの切符を買う。改めて運賃を見ると、特急料金を併せて4、020円。遠い所まで行くんだと思う。4千円もだすんだから当然座って行けると思っていたが大間違い。13時28分初の特急・南風は5両編成で自由席が一両しかない。自由席では立ちの乗客もあふれている。結局デッキで「ぎゅうぎゅう詰め立ち席」で1時間半かけて中村に行くことに。身動きもとれず。途中で降りる人も苦労する状態。成田EXPなら納得もするが・・・。

3時に中村着。一番初めにやることは、帰りの「指定席」確保。でもやはりマラソンパックに握られてて、結局喫煙席しか残ってなかった。同席者が同じ身の上であることに期待。そして、歩いて3分のホテルにチェックイン。ここもビジネスホテルで、部屋にはタバコの匂いがこびりついている。なんで、ここまで来てタバコとお付合いしないといけないかと思う。

3時40分巡回バスで受付会場へ。外には黒い雲が湧いてきていて感じが悪い。やはり天気はくだり坂。会場でゼッケンもらうと、机の上に、絵の書いた石が置いてある。四万十川の石に中学生が絵を書いたもので、裏には作者の名前が書いてある。そういえば、郵送されたゼッケン引換証にも、中学生の応援メッセージが添えてあった。内容は「100kmは走る人はすごい。途中で棄権してもすごいと思います。」とかで、走る前に棄権するのはちょっと気が引ける内容。とりあえず、中村までは行こうかという気にさせられた。

5時にホテルに帰り、明日の準備。まだ、雨の予報では、明日の走るウエァがきまらない。とりあえず、T−シャツとチョッキ両方にゼッケンをつけて、どちらでも、あすの天候次第で、選べる格好に。6時に食堂代りの喫茶店に行くと最初の御客らしく、席にずらっとおかずがならべてある。ちょっと今日はビールは思い留まる。メニューはうなぎ皿とアジフライ。おいしかった。

8時に就寝。途中4度ほど起きたけど、とりあえず2時まで寝ることができた。最近こういうときのプレッシャーは無くなっている。一端雨が降りだしていたが、夜中外を見ると雨は止んで道路は乾いていて一安心。

10月21日(日) マラソン当日

2時に起床。シャワーを浴びて、最終準備。ウエストバックに入れるものが未だきまらない。@使い捨てカメラA携帯Bエアーサロンパス。今回は完走が最終目的、雨も降りそうなので、@カメラを捨てる。結局正解だったかも。 3時に朝食。まともな焼き魚朝食だったけど、消化に悪そうなので、ご飯と味噌汁だけごちそうになる。
4時に駅行きスタート地点に行くバスに乗る。バスはスタート地点に直行、予定通り4時半に会場着。スタート会場の学校の校庭がサーチライトで浮きあがっていた。途中の道にはたいまつのかがり火もたかれている。体育館に行き一休み。やはりウルトラの大会ではあまり緊張感はない。携帯の天気予報では3時あたりが2mmになってちょっと予報が悪くなっている。

スタート 5時半

start 学校の取りつけ道路の先がスタート地点。普通の大会では押しあいへし合いの感じになるスタート地点での並びも、みんな譲って前に行かせてもらう状態。
5分前から教育委員長さんの応援があって、なにもなくて、5時半に突然スタートしましたのアナウンス。スタート地点まで1分ぐらいあるいてから、走れる状態に。まだ、回りは暗く、ところどころにスタッフの車が止り、道をヘッドライトで照らしている。1km毎に表示があるはずであるが4kmまで確認できなかった。まだ暗いのに、回りの民家からは人が出て、「行っておいで〜」と応援してくれる。






10km通過 6時36分(予定:6時35分 +1分)
ここまでくると回りも明るくなって、左手の川が見えてくる。川底まで透きとおって見えている。しかし、道の勾配もだんだんわかるぐらいになってくる。16kmからは坂が厳しくなり、はっきりと坂が始ったことが分る。でもどうにか止らずに走っている。ペースも7〜8分で思ったより速い。小雨が降りだしたが、気になるほどの雨ではなく、かえって走るにはよい。でもきつい坂、「なんで喫煙席しか残ってないんだ。」とか訳の分らないことを考えはじめる。

18kmぐらいになると、下を見れば、谷が分りすごく登ってきていると思えた。この当りで、「30kmぐらいまでこの坂が続く」とか言ってる人がいたので、「あと3k、21kmまでですよ。」と教えてあげる。マラソン出るのに地図も見ないで出ている人が案外多い。でも20kmまで登った時に、スタッフの人に「頂上は21.6kですよ」とか言われたのはちょっとこたえた。残り1kmと1.6kmは偉い違い。でも結局21kを少し過ぎたところがエイドでそこを少し過ぎると下りに入っていた。

20km通過 7時45分(予定:8時5分 −20分)
坂は歩きを入れて登る予定だったので、貯金が出来てしまった。まさか600mの山を今の状態で走って登れるとは思ってなかった。下り坂の初めでストレッチしてると、膝にテープを張った地元のママさんランナーに会い、一緒に坂を下ることになった。この下り坂、急なのでみんなスピードを上げて下るが、膝にきそうなので、予定通り7分ペースでおりる。

30km通過 8時57分(予定:9時15分 −18分)
30kを過ぎてもまだ下り坂が続いている。地元のランナーさん、子供さんが60kmのレースに出ているとのことで、40km地点に10時に着きたそうだったが、一時間しかないのでちょっと無理だった。ここでスピードを上げたのがあとに響いた感じ。

40km通過 10時04分(予定:10時35分 −29分)
40kmを過ぎると途端に1KM毎の表示を過ぎるのが遅くなった様に感じた。エイドにも結構時間を取っているが予定より早いので特に心配せず。42kmのエイドでは携帯からインターネットの掲示板に投稿。そろそろ足にきそうなのでエアーサロンパスを吹付ける。

50km通過 11時32分(予定:11時55分 −23分)
当初の目標の「12時までに50km」を余裕で通過。しかし、50kmを超えると右ひざにいやな感じが出始める。左足は走る前から痛かったのであまり気にならない。休みが多く入るようになる。55〜56kmには坂が、ここはあせらずに、歩いて越える。下りも結構膝にくるので歩いてくだる。下り終わると、大きな鉄橋を一回渡ってからの折返し。橋の途中でスプレーを吹きかけてもらう。

60km通過 13時09分(予定:13時25分 −16分)
だんだん貯金がなくなっていく。60kmを過ぎてから、いままでの小雨が突然本降りになった。折りたたみの傘をさして走っている人もいる。体中ずぶ濡れ状態で、早く62kmの休憩所・カヌー館にたどり着きたい気持で一杯。

カヌー館到着 13時24分(予定:13時45分 −21分)
ずぶ濡れ状態でカヌー館にたどり着く。頭が痛くなっている。いつもは芝生の上での休憩だそうだが、今日は雨、みなさんテントの中で休んでいる。とりあえず、おにぎり2個とみそしるで体を温める。あずけてある荷物を受取って、カヌー置場の中で着替え。ここであきらめてリタイヤする人もいるみたい。ウインドブレーカを着て走りたい気持もしたが、暑すぎて汗がでるのもなんなので、予定通り、T−シャツの上にチョッキ+もらったビニールに口をあけた雨よけを着て走ることに。靴はまだ濡れてなかったので、靴下を取り返るのもわすれていた。

カヌー館出発 14時0分(予定:13時45分 +15分)
雨の中、カヌー館を出発。でた直後は調子も良かったが、走りつづけるにはちょっとつかれがきすぎている。ペースが落ち始める。一応8分ペースで間に合う勘定だが、8分ペースもちょっと苦しく。にもかかわらず、雨はいっこうに止まない、むしろ時折激しく降る。でもとりあえずまだ走っていることがうれしい。ただ、道が狭い上に水溜りが出来、車がくると止るしか無い状態に。

70km通過 15時6分(予定:14時55分 +11分)

斜橋
72kmにて21kmから一緒だった同行者と別れ一人旅に。ここまでこれたのも同行者のおかげ。別れた後はとにかく80kmからは9分ペースで間に合う様にひたすらがんばる。20kmx9分=3時間、19時半−3時間=16時半。80kmに16時半までに着けば楽になる、それでもまだ3時間以上走らにゃ行かんのかと頭のなかで計算しながら。しかし、回りはだんだん暗くなり、ついには、スタッフの車のヘッドライトが照らす山道をもくもく走ることに。途中のエイドで傾向ペンをもらい、蛍族がつらなって走る。しかしこんな中、選手を待ってるボランティアのみなさんも雨に濡れて大変そう。





80km通過 16時28分(予定:16時25分 +3分)
とりあえず、2分の余裕ができたので、ここからはサロマで使った1kmインターバル走法に切替。2分走って次の距離表示まで歩く戦法に。これが使えるようになると、結構気楽になる。後は距離表示を減らしていくだけなので。しかし、80kmまでほとんど歩かずに走ってきたのには、我ながら驚いた。でも、時々眠気が襲ってくる。走りながら眠くなるのはこんなものなんだと。エイドでもお茶やお湯が出て体を温めることが出来た。

90km通過 17時50分(予定:17時55分 −5分)
ここまでくると余裕がでてくるが、ザーザー降りのなかできるだけ早くゴールして着替えたいという気持だけで走ることに。ゴール地点からと思えるサーチライトが雨の夜空を照らしているけど、まだ相当先にみ見える。1km毎の表示も暗くて見えない状態に。でも1kmのインターバルを始めてからかえって元気が出てきて、あと10kmぐらい追加されてもいけそうな気もした。98kmぐらいに坂がありここは、そばの人と話しながら、ゆっくり歩いてのぼる。坂をあがったら、再スタート、でも結構長い。ゴールでの写真を考えて、前後の間隔を考えながら走る。でも後ろにはついてくる人はいない。会場に入ると泥沼状態のなかをゴールへ。

100kmゴール 19時15分15秒(予定:19時25分 −10分) goal
手を広げてゴール。完走メダルをかけてもらう。そうだ今日はこの為に走っていたんだと思うが、いつものことだけど完走したという感慨は少ない。とりあえず椅子に腰掛けると、ボランティアのおねぇさんが、靴紐を解くよう言ってくれる。でも、イエローチップなので必要ないと言い、荷物の受取と食物の場所を聞く。荷物をもらい、おにぎりを2、3個たてつづけに食べる。やっと生きた心地がした。体育館で着替えてゆっくりする。インターネットの掲示板に応援メッセージが入っていたので、とりあえず完走のご報告。

後から送ってきたゴール写真はぼかしを入れなくても最初からピンぼけだった。(でも結局サロマと同じ格好でゴールしていた・・・)

バスに乗ってホテルに帰る。8時45分ホテル到着。夕食は9時までということで、荷物を置いてすぐに食堂代りになっている一階の喫茶店に。メニューは鳥のから揚げ、オプションでビールを追加。部屋に帰ってからお風呂に入り、梅酎ハイ2缶。2時ごろ気がついたら、テレビ付けっ放しで寝ていた。

10月22日(月) マラソン翌日
翌朝7時起床、今回は、けり返しに注意したせいか、足首から下にはダメージは出てないみたい。8時に食事に行ったらもう私の分しか残ってなかった。今日は皆さん早い。最初の日に指定席取ってたので、9時過ぎに歩いて3分の中村駅へ。9時23分発の特急・南風で高知へ。隣に座った人は期待に反して喫煙者。喫煙車にもかかわらず、喚起も悪くて閉口。また席に座った瞬間MDのリモコンが壊れ困る。高知着11時。ちょうど11時発の空港バスを捕まえられた。11時40分高知空港着。自動チェックイン機で切符を捕られて大慌て。まだ頭も体も回っていない。タッチパネルの搭乗者数を4人を押してしまっっていたらしい。12時45分発のJALにて東京へ。帰りは新横行きのバスで帰って、ビッグカメラでご褒美のMP3プレイヤを買おうかと思ってたが、バスが出たばかりで30分待ち。挫けて京浜急行経由JRにて3時に帰宅。

今回は30km以降走れるかどうかも分らず、幸運を祈るだけのレースだったけど、どうにか運に恵まれて完走。途中まで同行してくれたママさんランナーさん、ありがとうございました。置いてきぼりにしてごめんなさい。。
寒いなか、ずぶ濡れになってヘルプしてくれたエイドの皆さんありがとうございました。再来年はまたきます。(抽選に当ったら。)

掲載:2001年10月22日
訂正+写真追加:2002年 7月30日
(ゴール写真以外は四万十川ウルトラマラソン公式ページよりリンクしています。)