旧鎌倉街道の石仏を巡る
中の道編(1)鎌倉から東戸塚(2002/11/02)

 どう言う訳か旧街道沿いの石仏を追うという企画を思いつき、まず自宅近くを通る旧鎌倉街道・中の道を11月2日、3日(2002年)の連休で歩いてみました。

初日(鎌倉鶴ヶ丘八幡より東戸塚)の地図

鎌倉着(9:00)

まずは、鎌倉街道の始発点として段葛を通って鶴ヶ丘八幡まで行きました。大銀杏の紅葉の盛りはまだのようでした。朝が早いのでまだ観光客は少なめです。源平池を見てから左に進み、小道に入ると、辺りは静かな住宅街。散歩の人と時おりすれ違いました。


亀ケ谷坂切り通し(09:35)


そのまま踏切を渡らずに道なり行くと角に立派なお堂がありました。これが岩船辻堂とのこと。ここから右に折れると、鎌倉の七つの切り通しの一つ、亀ケ谷坂切り通しになります。剥き出しの切りとおしの壁が当時をしのばせるます。坂を登りきりちょっと下ったところで、現鎌倉街道と交ります。鎌倉街道沿いのバス停の銀杏が色づいてきれいでした。踏切を越えて少し進むと駆け込み寺の東慶寺、日曜バザーみたいなのを門前でやっていましたが、先を急ぐので中には入りませんでした。

北鎌倉駅前(10:03)

そのまま進むと北鎌倉の駅。三連休の始めの休日でもあるので、観光客が多そうでした。ここの踏み切りを越えるとすぐ前は「円覚寺」になります。桜や紅葉の季節はきれいです。来た鎌倉駅を過ぎて、最初の踏み切りが「権兵衛踏み切り」というそうです。この辺一帯の地主であった小泉権兵衛という方が寄附されたものらしいです。

水堰橋道標(10:25)
車が連なっている道を進むと、橋のたもとの右に道標が。右下の写真も道標と思いますが、信号機の裏に四角の標柱があるようです。私は見落としてしまいました。いずれにしてもここが「中の道」の出発点とのことです。ここから右に折れて小道を行きます。踏切を越えた右手に「成福寺」があります。お寺の入り口に石仏達が並んでいました。その先も、住宅街ですが昔ながらの細い道です。

離山地蔵堂(10:45)

小道と少し大きな道と交わった角にお地蔵さんを祭ったお堂がありました。お堂の上はテントで覆われてます。お堂の後ろには庚申塔と馬頭観音文字塔がありました。このあたりは大船駅のすぐそばです。

東芝前(11:10)

お堂の後ろの細い道を入って進むと前には東芝の大きなビル(正式には芝浦メカトロニクス)が表れ道がとぎれます。地図では芝浦製作所になっています。小川を渡って右に川沿いに進み本道に出ます。

青木神社(11:15)

東芝の正門あたりで旧道にまた出ているそうです。そのまま進むと、左右に小山が現れるます。その間の谷を進みます。道から左の筋をみると神社(青木神社)の長い階段が見えるのでちょっとよってみる。階段のたもとのアパートで猫が昼寝をしていました。

笠間の庚申塚(11:22)

青木神社から戻り少し行くと左手に庚申塔を発見。この辺りがかつては笠間の集落の入り口だそうです。六体の石仏・石塔があり、左から二つ目の庚申塔から、@延宝8年3月A正徳4年11月B文政6年2月C蔓延元年3月の銘文が読めました。

お不動さん(11:34)

しばらく行くと、今度は右側に北を向いたお不動さんを発見。銘は「今泉村不動*」「寛永七年**」とあり。

笠間の道標(11:44)

お不動さんよりしばらく行くと笠間の六差路になり、歩道橋でまっすぐ向かい側に渡る、いたち川にかかる橋を渡るとすぐ右に道標(元禄四年銘)があり。その後ろには、延命地蔵堂があった。道標には左に「従是とつか道」右に「従是ぐみょうじ道」裏に「奉造立庚申供養 同行八人」とある。「旧鎌倉街道 検索の旅 中道編」では、西本郷小学校正門前に移されていたように記述されているが、元に戻されたみたい。右に折れてお地蔵さんの前を通って小道に入っていく。しばらく行くと右にスーパ、左に幼稚園があり、幼稚園の裏の本道沿いにあったセブンイレブンにて昼食の買出し。

力石(11:52)

西本郷小学校の前に力石がセメントで止めてありました。昔、村の力比べに使ったとの説明板がありました。

庚申塔及び双体道祖神(12:05)

しばらく行くとお稲荷さんの前にお地蔵さん達が並んでいた。左から、
@馬頭観音 文久3年
A地蔵   宝永元年
B庚申塔  明和元年11月15日
C庚申塔  蔓延元年12月
また、鳥居をくぐって階段を登った社の前には南向きに双体の道祖神が。 これは知ってないと気づかないと思うので要注意。彫りが深い道祖神さんたちだった。

道柱(12:25)

電車のガードをくぐり少し行くと左側の三叉路に小さな道標を発見。 裏には、「従是ぐみょうじ道」「庚申供養同行6人」「元徳3年  11月吉日」の銘が。

長光寺(12:45)

道標を抜けてしばらく行くと、少し大きな道と交わるが、そこを横切りまっすぐ進むと大きな道とぶつかる。その左手が長光寺、ちょっと境内を拝見する。

渡戸庚申塔(13:04)

道を渡り、すぐに右に入り、また左におれて、くねくね曲がった脇道を通って坂を登っていく。昔はこの道しかなかったと思います。ちょうどそばにいた何年ぶりかで帰ってきたようなおばさんが、「昔は本当の田舎道だったのに」とかいってました。 しばらく行くと、道脇のマンションの土台の壁部分をえぐって庚申塔が置かれてあった。左から、 @道陸神 天保12年丑年8月吉日(1841年) A庚申塔 万延元年9月吉日(1860年) B庚申塔 天文3年8月吉日(1738年) という銘版が横に張ってあった。 こうすることで、しばらく消失は逃れられるのでしょうがちょっと寂しい。

舞岡公園(13:30)

坂をそのまま登ると、環状3号線にぶつかり、さらに登ると日限山/舞岡の住宅地に入るが、小雨が降り出したので、舞岡公園に雨よけに入る。この公園の中にも道祖神があるはずだけど、広すぎて探すのを諦め本道に戻る。これで時間をだいぶロスしました。

日限地蔵尊の角(14:24)

本道に出てコープがある十字路で左(北)に曲がり、カーブしながら住宅地の大通りを進むと、前にまた大きなクレーンの乗っかったマンションの建設現場が見えてくる。地図ではここは「日限地蔵尊」のあるお寺「福徳院」の境内らしいけど。建設地の前で左に入り、またすぐ右の小さな道をすすむ。ここも高台で見晴らしがよければ南舞岡方面が一望できる。

芙蓉園横(14:40)

間違ってすぐにマンションの小道を抜けて本道に出てしまいましたが、この道を進めば、そのまま大きな道に出て、その道を「下永谷駅入口」の信号で渡り、小道に入ってすぐに左に折れて進むと「芙蓉園」という老人ホームがある。この老人ホームの左側がまた古道の入り口になっている。この老人ホームに入る道でもマンションの建設中で、不況は何処なんだと言う感じ。古道に入ったら入ったで今度は資材置き場、やっと古道の雰囲気が出てきたかと思うころには、道はだんだん細くなり、最後には切れて、普通の住宅地に入りました。

市民の森(15:20)

旧鎌倉街道は尾根道が基本と書かれていたけど、歩いてみるとそれを実感します。丘の途中で道が降り始めたら、それは間違った道で、すぐに地図を見て引き返す。道が若干分かりにくかったが、どうにか市民の森に入る。ここでも道祖神があるはずで、公園を一周したがここでもみつからず。舞岡公園にしても、ここにしても、広くてまた樹木で視界が効かないので、場所が分かってないと無理。ここでも捜索断念。でも、途中3匹の猫たちに遭遇。一匹は首輪をしていたが、どの猫も健康そうだった。また、無縁仏供養と銘のある石仏もみつける。

市民の森を出る(16:04)

日暮れも近いので今日は山を降りたところで止めて東戸塚に向かうことにした。森を出て少しの間は住宅地ですが、すぐに右側をフェンスに囲まれた古道の山道になる。このあたりも昔の面影を残すところです。しばらく行くと、お稲荷さんの社と脇に子育て観音さまみたいな地蔵を発見。(4:21)さらに道を間違えながら降りると、大嶽神社の境内に出た。(4:50)

東戸塚駅着(17:10)

大嶽神社から東戸塚駅まで20分あまり。でも道順は今まで来た道より複雑。駅に行きそうな人についていく。 どうにか駅について5時15の分の電車で帰途に着いた。




参考資料
書籍 旧鎌倉街道 探索の旅 芳賀善次郎著 さきたま出版会 昭和56年
HP 鎌倉古道