旧鎌倉街道の石仏を巡る
中の道編(2)東戸塚から川和(2002/11/03)

中の道二日目、今日は昨日終了した東戸塚より開始。
8時に出発、昨日と同じ電車に乗る。出勤より早い?

二日目(東戸塚より川和)の地図

東戸塚着(8:50)

昨日通った道を思い出しながら戻る。


秋葉大橋(09:15)


人は進入禁止なので、少し進んだところにある人道橋を渡る。橋を降りて進むと十字路が在り、その先の店屋(中村商店)のところで右にはいる。


川上小学校(9:37)


ここも普通の住宅街だけど、右側が少し小山になっていて、そこをまいて登っていく感じ。頂上には高圧線の鉄塔がそびえる。小学校の脇を登っていくと、ゴジラ対ラドンが出現。石材屋さんみたい。その先の道を「川上小前」の信号機で渡り、すぐに国道一号を陸橋で越える。回りを見渡すとすでに稜線の上に出ていることが分かる。
陸橋を渡るとすぐに右に入り、また住宅街を進む。「横溝歯科」の前を過ぎるとお寺の脇で道が途切れる。階段を下りて、ちょっと右に進んですぐに「新戸塚病院入り口」の看板で左に折れる。ここも旧道という感じのしない道。病院を過ぎて少し行くと「アルス東戸塚」という名のマンションがあり、その横は駐車場になっている。その裏はすぐに戸塚カントリークラブになっている。


戸塚カントリークラブ(11:10)


この道では戸塚カントリーの山は越えられないので、病院まで戻り、左の階段を登ると、山を下りる道がつづいている。その道を下り、大きな道と交わったところで左に折れ、戸塚カントリーの山を登る道にはいる。(10:20)付近は農村地帯で、農家やら、自販機やらあるのでこの辺りで、水分補給する。この上の道は両側フェンスの道が続き何も無いので注意。
途中にゴルフ場へ入る口が開いていたので、ちょっと入って一枚。山の頂上にはカントリーのクラブハウスがあり、このあたりから旧道にもどるのらしいですが、道は拡張されているので、昔の様子はわかりません。


都塚道標(11:10)


クラブハウスをすぎるとすぐに都塚とよばれる所があった。 道標があり「西 武相堺道」「南 鎌倉道」「北 二俣川村道」「**本宿青年会」の銘が読めました。またその上には祠が在り、石仏が祭ってありました。祠の由来は不明。


アスレチックパーク前道標(11:27)


さらに下ると左がアスレチックパークになっておりその入り口にちょっと新しい道標が。昭和63年の銘がり、鎌倉道と大山道の分かれ道であったことを示す説明書きがありました。

本宿中学そば団地(12:00)

道標の地点から道を右に折れて小道に入っていく。このあたりは古い家波である。バスの通る道をわたり徐々に登っていくと、「寿々森園芸」の看板があるので右に折れる。最初は左に行きましたが、降りていくような感じだったのですぐに引き返しました。やはり鎌倉街道は尾根道が基本です。丘の上にでる前に4、50m古い道が残っていた。この辺りは昔の掘り道の名残とのことです。そのすぐ先で「保土ヶ谷バイパス」を陸橋でこえて、少し下ると、すぐに本宿中学のそばの団地に出る。


鶴ヶ峰三合橋(12:38)


道を越えて桜の木に囲まれた小道を通って団地を裏に回り二つ目の小道を進む。この道はまっすぐに続く道で、昔は田んぼか畑の中だったと思われますが、今は住宅が続く。新幹線を陸橋で渡り道なりに行くと右側は公園になっています。その公園には入らずに、左が崖になっている道をひたすらまっすぐ降りる。丘の中腹にはまだ畑がのこっていました。下り切るとイトーヨーカドウの前の踏み切りに出て相鉄線を越えます。細い道を道なりに三合橋を越え、下川橋を渡ってすこし行くと16号です。たまちゃんの帷子川がこんなところを流れてました。

東急裏公園(旭台中央公園)(13:44)

16号にで左に折れてしばらく行って、白根三丁目の交差店で左に曲がり、ひたすら進む。途中の児童公園で何かの祭りをやってました。このあたりも比較的古い町だと思いますが、庚申塔の類は発見できませんでした。しばらく行って、郵便局を過ぎた交差点から右に折れて小道に入ります。「相鉄ローゼ」の裏の道。ここもまた尾根道になりますが、周りはやはり住宅街。道は一旦東急ストアで途切れます。東急裏の公園で昼飯にする。葉が色づいていました。

最後の旧道跡?(13:56)

東急ストアの裏の小道を進むとやはり住宅街。こんなところ、こんなことがなかったら多分一生通らないだろうと思いながら通る。少し行くと住宅街が切れ左の小山が畑となっている、この辺りが最後の旧道という感じ。

中山に入る(14:15)

道なりに下って行くと、都筑の丘が先に見えるようになり、帰ってきたことを実感。坂を道なりに降りる。左側の崖は土地整備が進行中、また住宅街が増えるのだろう。坂を降りきるとそこは仲原街道。2車線の凄い立派な道路になっているのに感動、10数年前は一車線の細い道だったのに。どうしたんだろう?

長泉寺の庚申塔(14:23)

仲原街道を渡りまた細かい道を進むと正面にお寺が見える、これが長泉寺。この門前に庚申塔を発見。ここまで来てやっと今日2体目。石仏ウォークのはずがちょっと辛い。元禄六年の銘。寺の中に猫が数匹発見したが、ちょっと元気なさそうだった。

青砥の庚申塚(15:00)

長泉寺の脇の小道を進み、踏切を渡り、恩田川にかかる橋をわたる。T字路を右に折れ、二つ目の小道を左に折れるとすぐに、庚申塔を発見。一番右が享保3年9月吉日となっていた、他は読めず。
三叉路の庚申塔(15:00)

少し進んだ三叉路にまた庚申塔が、この庚申塔には、享保4年の銘が。 ビニールにつつまれたぬいぐるみがお供えしてありました。ここで、右の道を選びましたが、左に行くと道標などがあるそうです。

お墓の入り口の庚申塔(15:36)

ちょっと行ったお墓の入り口に庚申塔が、享保2年の銘。

子育て地蔵(15:26)

道なりにいくとこんどは、北八朔子育北向地蔵という地蔵さんが祠に祭られていた。

川和の双体道祖(15:42)

畑に出たところで右に折れ、鶴見川にかかる精進橋を渡り、川和に出る。すぐに左に折れ、その先を川沿いから分かれて右の小道を入っていく。道沿いではないが場所を知ってる、道祖神に合いに、右側の路地をに入ると50mぐらいのところに祠があった。

神社の二十三夜塔(15:48)

もとの道に戻り少し行ったところの神社の境内に二十三夜塔が。

藪の中の文字塔(15:53)

すこし行くと右の藪のなかに、「道神祠」と「庚申塔」と刻んだ石塔が二つ。この曲がり角を右にいくと神社になるらしい。

庚申塚(16:11)

細い道を通ってバス道の出口のところに庚申塔数体を集めた祠が。左から読める銘は、宝永3年、宝永6年11月、宝暦9年となっていた。昔どこかに置かれていたものを集めたものだろう。

歌碑(16:15)

内容不明なれど、庚申塚の前にあり。

庚申塚(16:15)

今日はこれで撤収と思って、バス停に行く途中にまた庚申塔が。さすがに川和である。 左から、 @二十三夜塔 文政9年 A地蔵? B庚申塔 嘉永5年 C地神等 嘉永2年

川和バス停(16:26)

川和のバス停から横浜駅西口行きで撤収。 疲れた・・。




参考資料
書籍 旧鎌倉街道 探索の旅 芳賀善次郎著 さきたま出版会 昭和56年
HP 鎌倉古道