旧鎌倉街道の石仏を巡る
中の道編(3)川和から二子の渡し(2003/6/8)

 梅雨の季節が迫ってますが、天気がよさそうだったので、昨年鎌倉を出発して川和(横浜市都筑区)で止まっていた旧鎌倉街道(中の道)を久しぶりに歩いてみました。  今回の予定は川和を出発し、港北ニュータウンを抜け、旧大山街道沿いに田園都市線宮前平駅、溝口駅を通り二子の渡し(二子橋そば)に至る約14km。

地図(赤線はGPSの記録、青丸は石仏、でも大きさの割には画質わるいです・・。)
川和〜真福寺(279kbytes)
真福寺〜宮前平(312kbytes)
宮前平〜二子の渡し(429kbytes)

川和出発(10:00)

 9時半に小机駅前バス停から市ヶ尾行き03番の東急バスに乗り「川和町」まで20分ぐらい。10時からから出発。ちょっと入るところを間違えて小道を行くと左の小道に小さな社と大きな銀杏の木を発見。看板の説明によると樹齢400年。もとは八幡山東明寺というお寺だったらしいです。(1566年開山、1924年廃寺)

都筑が丘幼稚園脇(10:17)

 小道を登って行きますが、周りは家ばかりでどこにでもある住宅地。バス通りに一旦出てからすぐにまた小道に入ります。ここもやや急な登り坂ですが、登りきったところに「都筑が丘幼稚園」がありました。しかし道は駐車場敷地で行き止まり。南側は斜面でバス通りの向こうが「川和高校」。左の階段を降りて進みます。

どんぐり公園脇(10:37)

 そのまま500mぐらい進むと田辺の交差点の脇にでました。交差点で左に折れてすぐに脇道に入り進むと、右と左の道は降りで、やはり尾根道を歩いていることが分かります。この辺りは栗の園芸農園が多く、畑の中にある「どんぐり公園」を過ぎた頃から道は登りはじめました。曲がり角で「荏田高校」方向に右に折れると、ここも右側は斜面になっていました。この道も急な登り坂で、登りきった一番高い65mの三角点には高圧線の鉄塔が立っていました。先に進むと、大きなバス通りの上に陸橋があり。これはもともとは道だったところが、車道を作る為に切り通しにされてしまったようです。


剣神社(11:33)


 陸橋から300mぐらい先に進み、右の小道に入るとここもやはり右側は斜面。でも、右に舗装されていない道があったので進んで見る。するとすぐに山道になり周りは竹林の世界に。ちょっと昔はここいら一帯がこうだったのでしょう。古い墓石の並ぶ墓地も2箇所あり。戻るのも面倒なので、そもまま降りて「剣神社」に向かう。降り口の所は、マンションの工事の真っ最中で、関係者以外立ち入り禁止となっていた。降りたところから500mぐらい進むとそこは「剣神社」。この神社は剣の伝説が伝わる神社ですが、石造物は有りませんでした。


真福寺(11:51)


 神社の右脇から山道を400mぐらい登り本道に戻り、さらに400mぐらい降りた所が真福寺。お寺の入り口に文字庚申塔と地蔵3体がありました。真福寺は大正10年この地に移築されたもので、もともとこの場所には江戸中期建てられた「観音堂」があったそうです。この辺りから旧大山街道と合流します。

下宿の庚申塔(12:02)

 お寺を出て下宿橋を目指すとそこにはりっぱな大木が。鎮守の森の木のようだと思ってるとやはりその下には庚申塔を祭った小さな社がありました。扉が閉まってるため良く見えないですが、庚申塔と地蔵さんのセットの様です。インターネットで検索したら、扉が開いた写真はここにありました。またここはかつてのは荏田宿のはずれだったようです。


老婆鍛治山不動尊・霊泉の滝(12:14)


 鍛治橋を渡り川と平行の小道を進むと、川には大きな鯉が泳いでました。鍛治橋から200mぐらい先を右に折れて、「老婆鍛治山不動尊・霊泉の滝」を目指ます。100mぐらい行くと右側に小さな池があり、竹筒で水が落ちていました。看板に「霊泉の滝」の案内あり。池の上にはちょうどアジサイがさいていて、その中にお不動さんが置かれていました。滝の右の急な階段を登ると小さな社があり、庭には力石とドンと焼きに使うと思う丸石が置かれてました。

牛久保の丘(12:50)

 不動尊をでて進むと、道はだんだん登っており、市営地下鉄の高架をくぐります。大通りに出たところでその道を横切り、牛久保の丘を登っていきます。このあたりも宅地化が進んでますが、わずかに残された尾根沿いは造園屋さんになっていて、道はその中を通ってました。


八幡神社(宮前平駅西口前)庚申塔(13:36)


牛久保の丘から降りて、有馬9丁目、8丁目と進みます。有馬1丁目では国道246号を渡り、鷺沼駅方面を左手に見ながら市街地を進むと、道は入りくんではいますが、ほぼ道なりに行くと「宮前平駅」に出ました。宮前駅の前には、「八幡神社」があり鳥居の脇に庚申塔が祭ってありました。

庚申坂(宮崎団地手前)(14:05)

 八幡神社を出て道なりに溝口方向へ登っていき、T字路で左に折れてくだります。道沿いには会社の寮が多かったです。方向的には田園都市線と平行して歩いて行きましたが、「宮崎団地前」のバス停の手前に「庚申坂」という坂をみつけました。説明板によると昔は近くに庚申堂があったそうです。八幡神社からは1kmぐらいのところです。


庚申塔(下作延81)(14:28)


 庚申坂から500mぐらい進んで国道246号に出たところで歩道橋を渡りました。歩道橋を降り100mぐらい進んで、右に折れて脇道に入る。舗装に白い砂利がまぜてある。これは他の観光地が歩道をタイル敷きにしているように、旧大山街道とわかるようにしている見たいです。そろそろ何か出てきそうだと思ったら、入り口から200mぐらいのところに庚申塔発見。庚申塔、祠、道標があり。道標には「二子橋」とあるので、比較的新しいものの様。また、脇に「身代わり不動尊不動尊⇒」の看板があったけど、246を渡った近くに「身代わり不動尊不動尊」があるので、庚申塔とは関係ないらしい。


笹の原子育て地蔵堂(14:33)


 庚申塔より200mぐらい進むと今度は「笹の原子育て地蔵堂」とよばれる御堂がありました。お堂の外に3体余り、中に5体の石仏が安置されています。

反町庚申塔(14:49)

 さらに道なりに500mぐらい進むと溝口の駅前にでました。駅の入り口にある反町の交差点に「反町庚申塔」と呼ばれる庚申塔がありました。排気ガスのせいかちょっと痛み気味の像でした。この庚申塔は道標を兼ねていて、「西大山道 東江戸道 南加奈川道」と刻まれているそうです。

溝口神社(15:03)

 このあと旧道沿いに、「宗隆寺」、「溝口神社」に寄りました。溝口神社の御手洗は4人の童子が担いでいるユニークなものでした。

大山街道ふるさと館(15:11)

 溝口神社から200mぐらい進んだところに、道しるべの石柱があったので写したら、そこは旧大山街道の歴史を説明している「大山街道ふるさと館」という会館でした。中に入ると、パネルで写真、地図を使って説明してありました。管理のおじさんが手持ちぶさたの様だったので、近くを通るときには寄ってみましょう。「大山道レキシウォッチングガイド」というパンフレットをもらえました。


二子神社(15:45)


 次の「光明寺」も石造物はなく、ゴール近くの「二子神社」を目指しました。多摩川の交差点の少し前で本道を左に折れて小道を進んだところに「二子神社」ありました。境内の左奥に庚申塔がありましたが、酸化に弱い石を使ってある様で表面の痛みが激しいです。境内の脇には「岡本かの子文学碑」もあります。

二子の渡し(15:55)

 二子神社の裏の横断歩道から多摩川の河川敷にでてみました。東京側に船で渡る「二子の渡し」はこのあたりの様で、大正14年に二子橋ができるまで渡しがあったそうです。インターネットで調べると、「二子の渡しの石碑」は東京川の二子玉川駅から約200m下流の世田谷区立玉川福祉作業所の入口にあるそうですが、それは次回訪問ということで。 二子橋の下はバーベキュウの大賑わいでした。
 ということで多摩川を渡った二子玉川駅まで二子橋を歩き撤収。


まとめ


 芳賀善次郎著「旧鎌倉街道 探索の旅」(昭和56年)には港北ニュータウン開発以前の草むらの中を続く道を写した写真が載ってます。このような場所が少しは残っていないかと期待したのですが、宅地開発でほぼ予想通りその痕跡はほぼ消滅していました。真福寺より先の旧大山街道沿いも沿道の庚申塔などに面影をのこすのみでした。ただし、道そのものは舗装されても今もほぼ変わらず利用されているのは凄いですね。

今日の記録:


歩行距離:16.2km(川和〜二子多摩川駅、寄り道含む)
移動時間:3時間58分
休憩時間:2時間27分




参考資料
書籍 旧鎌倉街道 探索の旅 芳賀善次郎著 さきたま出版会 昭和56年
HP かまくら道 夢めぐり